2008年06月16日

明智光秀

 
AX 

最近、何かと慌しくて...日常生活に何一つドラマが無いので、
もう暫く日光ネタで引っ張りたい。

徳川宝物館を後にして、同行のアキモ・ジョンナムの希望を叶えるべく
涼しい華厳の滝へと向かう。

”いろは坂”は凄い!
カーナビだと、この様に表記される。

初心者に...この運転は厳しいかも。

途中、『明智平ドライブイン』で休憩を取る。

日光東照宮建設の中心人物である天海上人は明智光秀であったとする説があるが、
この明智平の命名者は天海と言われている。

また、2代将軍の秀忠、3代将軍家光の最初と最後の文字を逆にすると、
家(光秀)忠となる。

本能寺の変の黒幕が徳川家康で、後に明智光秀を天海として招いたのだとすれば、
壮大な計略&歴史ロマンと言えましょう。

それに比べれば...某極悪ホールの遠隔操作やサクラなど、
実に陳腐な策略ではありませぬか...。

江戸の風水設計を行い、
徳川将軍家に3代に渡って仕えた天海上人は、100歳以上も生きたという。


「高い所に上がって涼まねぇか?」

ソフトクリームを頬張りながら、既に汗だくのアキモ。
奴は昔からロープウェー好きだ。

明智平の頂上から眺める華厳の滝は圧巻!


この景色を...明智光秀も眺めたのであろうか?

天海上人は明智平に来る度に「良い名だ。とても懐かしく遠くの事のようだ。」
という意味のことを言った伝説も残っている。

最近は内部告発によって、企業の不正が明らかになるケースが増えて来た。
組織からすれば謀反者であっても、社会的には正義である事が多い。

「順逆二門に無し 大道心源に徹す 五十五年の夢 覚め来れば一元に帰す」

「心しらぬ人は何とも言はばいへ身をも惜まじ名をも惜まじ」
                                     (明智光秀辞世の言葉)

信長、秀吉と役割はあったろうが、
結果的に天下太平の世は家康によって確立された。

本能寺の変は、明智光秀の命賭けの内部告発だったのかも知れない。

だとすれば、”明智光秀=天海上人”説の真偽は定かではないが、
そうあって欲しいと思う気持ちが、人々に根強く生き続けた末の伝説とも言えよう。

『仏のうそは方便という。武士のうそは武略という。土民百姓はかわゆきことなり』
                                         (明智光秀)

内部告発もまた、博打。

特に正義の勝負を行う時は、絶対に負けてはならないものだ。

勝負師としての天海(光秀?)もまた、神の領域であったに違いない。


TOTAL 1,127,250円

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posted by ガンダーラ鈴木 at 04:18| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 奥義探求 徳川家康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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